おもろいんやで歴史漫談:戊辰戦争外伝「淀川殺人事件」


戊辰戦争外伝「淀川殺人事件」







考古学研究家 植田正幸




 平成6年の夏は、少雨のため大渇水でした。枚方市牧野北町辺りの船橋川の合流点で、驚くほど干上がった河原を歩き、対岸の鵜殿まで歩けそうな光景に驚いていると、丸い黄土色のメロンのようなものが目に飛び込んできました。砂をかき分け取り出してみるとなんと頭蓋骨!しかも子どものもので、後頭部、頸椎辺りに刃物による傷跡が複数確認でき、打ち首になったことは間違いありません。そこに穴を掘り、手を合わせ成仏を祈り、河川敷に上がりました。ふと振り返ると、西日に水面が輝き、霊魂の昇天を見るようで、妙な心持ちで帰ろうとしていました。迷子の子をほったらかしにしてきたような…。
 30分後、なぜか私は 枚方警察署にいました。 「あのう、拾得物とゆうてええのか分かりませんが…」と、例の拾得物を受付カウンターにポンと置いたのです。婦警さんは一瞬で顔色を変え、何とも言えない黄色いうめき声を出したので、数人の警察官がこちらを凝視しました。
 刑事さん「それはご苦労様。…で、どこで見つけはったんでっか?」私「淀川で見つけましたが斬首の痕跡から戊辰戦争の被害者やと思います」「なんで分かりまんのや?」「考古学関係の仕事の経験上、刀創と物理的な経年変化が根拠です」「…ふーん」。しばらく間があり、年配の刑事さんが現れ、穏やかな物腰で「お住まいは?お勤め先は?ご家族は?」と、微笑みながらも目は笑っていません。ようやく「ひょっとしてオレ、殺人容疑者かいな!」と気付きました。内側からドアが開かない警察車両に丁寧に案内され、現場の河原まで任意同行。3人の刑事さんが胸まである長靴を履き、大汗で長い棒で懸命に探索しましたが、当然何も見つかりませんでした。
 後日、警察から連絡があり、検視の結果百年以上経ったものと判明、ねんごろに弔った旨、連絡を頂きました。私が殺人容疑者になった、暑い夏の思い出です。





考古学研究家 植田正幸
埋蔵文化財発掘調査担当を経て、考古学・歴史講座を行う。 考古学・古代史探訪サークル顧問・専任講師 「生涯青春塾」北河内歴史講座を担