「記者としての葛藤」 ~事故の取材を通じて~
京都・祇園の繁華街で4月12日、暴走した軽ワゴン車が通行人をはね、18人が死傷する痛ましい事故が起きました。亡くなった7人の1人、
守口市の平山節子さん
(69歳)は、花見をしようと京都に来ていました。記者は、平山さんの夫
(60歳)や知人らに事故の状況や平山さんの人柄などを取材しました。
平山さんが搬送された京都の病院に駆け付けていた夫は、13日未明、自宅前で取材を受けてくれました。
平山さんは12日、30年来の友人女性(67歳)と八坂神社や円山公園などの桜を見る予定で、京阪電車の駅を降り、八坂神社に向かって歩き出したところで、惨事に巻き込まれました。
当日の朝、一緒に食事をした後、先に出掛ける夫を「いってらっしゃい」と見送った平山さん。これが夫婦で最後の会話になりました。夫は「あまりに急で、信じられない。朝まで元気だったのに」と無念そうでした。
友人の女性も車にはね飛ばされ、けがをしました。1日の入院後、帰宅した夜に取材に応じてくれました。「ほんまの姉妹みたいに仲良くしてくれた。せっちゃんがいたから、この30年楽しく過ごせたのに。これから、日に日に寂しくなる」と悲しんでいました。
大きな事故が起きた時、記者は当事者や関係者に取材を重ねます。尊い命が突然、奪われた事実や、事故の悲惨さ、理不尽さ、背景などを記述し、「二度と起こしてはいけない」というメッセージを伝えたいからです。
しかし、悲嘆に暮れる人たちに、「どういう気持ちですか」と尋ねることには、いつも心苦しさを感じます。「そっとしてあげたい」という思いと、「事実を伝えるため、話を聞かなければ」という記者の使命感との間で、常に葛藤があります。
平山さんの通夜の会場では、遺族から「仕事だというのも分かるが、そっとしておいてほしい」と取材を断られました。その気持ちも十分、理解できます。私も、記者である前に悲しみも喜びも感じる心を持つ一人の人間です。悩み、迷いながら取材をしています。そして何よりも、今回の事故で亡くなった平山さんら犠牲者のご冥福を祈っています。
読売新聞枚方支局 中田 敦之(平成23年10月1日~)