おもろいんやで歴史漫談:枚方・交野 七夕伝説
枚方・交野 七夕伝説
考古学研究家 植田正幸
枚方、交野を含む交野ケ原はかつて渡来系の人達が多く暮らし、百済寺を中心に大陸文化を積極的に取り入れた、一大先進地域でした。平安京に遷都を行った桓武天皇は、母が百済系の女性、高野新笠。彼は中国の皇帝が行う、冬至に都の南に天壇を設置し宇宙の中心天帝(北極星)を祀る道教の儀礼を、聖地交野柏原の地で行ったらしく、付近には宇宙や星に関わる伝説が多くあります。
交野市の妙見宮は天帝の乗り物である北斗七星が祀られ、磐船神社には肩野物部の祖先神である饒速日命(にぎはやひのみこと)が天の磐船で天孫降臨したと伝わります。
さて、日本の七夕の起源は、七月七日に棚機女(たなばたつめ)が水上の棚の上で機を織り、豊穣を祈念する儀式で、登場人物は「彦星・織姫」です。中国でも同じ日、道教の神で機織りを司る西王母を七夕・星辰信仰により祀ります。この場合は「牽牛・織女」です。日本の豊穣信仰と中国の道教的祀りが複雑に入り交じり、現在の七夕祭りになっています。
香里ケ丘の観音山公園にある、山上憶良の歌碑には「彦星の 妻迎へ舟 漕ぎ出らし 天の川原に 霧の立てるは」。また在原業平も『伊勢物語』で天の川を詠んでいます。「狩り暮らし 七夕つめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり」。
七夕の日には、天津橋のしあわせのモニュメントで、思いをはせてみてはいかがでしょう。
考古学研究家 植田正幸
埋蔵文化財発掘調査担当を経て、考古学・歴史講座を行う。 考古学・古代史探訪サークル顧問・専任講師 「生涯青春塾」北河内歴史講座を担